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第六章(運命を彩る者たち)
ストラディウムは、この大陸で最大の国家「ストラディウム王国」の王都であると同時に、その衛生国家をも含めた「ストラディウム連合王国」の首都でもある。そしてこの王都は、ユルセルーム大陸の西の海に浮かぶ「ストラディウム本島」に位置し、常に強力な海軍と精強な戦士たちに守られている。
ストラディウム王国の国王は、通称を「西方守護者」と言い、それは古のユルセルームに存在した「統一王朝」の時代に聖王から与えられた称号で、ユルセルーム大陸西部の平和を守る指導者を意味していた。今の時代になっても、統一王朝をその起源とする国家の中では、この称号が使われることが多く、大陸の言葉ある種族が持つストラディウムへの期待と平和への願望が込められているのは事実であった。そして、人々が知らず知らずの間に心の奥底に蓄積している統一王朝への夢や憧れも‥‥‥。
そして、ストラディウム本島から海を渡った大陸側には、その偉大なる王都の玄関先ともいえる大港湾都市があった。
ユル・ストラディウムである。
リゲルたちがギュノンの街を出発した数日後、夕暮れのユル・ストラディウムの街を一人の旅人風の戦士が歩いていた。
その男は四十歳前後で、長身で体格が良く、口髭を生やし、茶色の上着に身を包んでいた。そして腰には一本のシミターを差し、手には上着と同じ色の小さな袋を持っていた。
彼は、港でストラディウム行きの船に乗る乗客を眺めると、自らを慰めるようにこう言った。
「いつになったら再会できるのだ。もう随分と長い間旅を続けているが‥‥。同志よ、今どこにいるのだ。あなたが死んでいるはずはないだろうに。」
そして彼は暗い夜道を歩き、街の宿の一つである「夜更けの晩餐亭」に入っていった。「お帰りなさい、ランドルフさん。ちょうど夕食の準備ができたところです。」
一人の少女が彼を出迎えた。
その少女はルナといい、歳は十五歳前後で、ストラディウム人に多く見られる褐色の肌と、焦げ茶色の髪と目を持つ、元気で美しい少女だった。
「ありがとう。いただくとするよ。」
そう言って、ランドルフという男はテーブルにつき、ゆっくりと食事をはじめた。
そこへ、店の主人がやってきて言った。
「ついに、ギュノンの街にも悪魔どもの手が伸びてきたそうだよ。一体この世界はどうなってしまうのだろう。」
「‥‥‥。」
「十五年前に、あの平和の心の象徴だったシルバーランドが滅ぼされてから、もう本当の意味でやつらに対抗できる善の力は無くなってしまった。ストラディウムの軍隊だけでなく、そういった普通の軍隊は、悪魔の帝国の暗黒の力には役に立たないらしいからね。」
「そんなことはないさ。この世界にはまだ、たったひとつだが可能性が残されている。」 そう言うランドルフに、主人は少し驚いたように尋ねた。
「それはいったい何なんだ。」
「いや‥‥、ただ何となくそう思っただけさ。希望ってやつかな。」
そしてその時のランドルフの目は、どこか懐かしい遠くを見つめているようであった。
そのころリゲル達は、道なき道を西へ西へと歩いていた。
辺りは見渡す限りただただ平原が続いており、それが幾つかの丘と数本の木で彩られていた。太陽はすでに西の空へとだいぶ傾いており、二人の影は長く背後に落ちていた。
「もうそろそろ、村が見えてもいいはずなんだけどな。」
リゲルが言った。
「少し休もうよ。」
ケルベロスが疲れたとばかりにそう言った。
その時、彼らの左の方から砂塵と共に一頭の馬がやってきた。
そして、その馬の上には漆黒のマントを着た人物の姿があった。
リゲルとケルベロスは本能的に警戒し、リゲルはブロードソードを、ケルベロスはショートソードに手をかけた。
馬は二人の近くにくると立ち止まり、そしてそこから漆黒のマントの男が下り立った。
「ほう、近くで見てみるとどうして、以外と価値のありそうな雰囲気が漂っているな。」 男はリゲルとケルベロスには訳の分からない独り言を言った。
「何者だ!」
リゲルは内心動揺しつつも、それが声にあらわれないように用心して問いかけた。
「フッ、人に名を尋ねるときはまず自分から名乗るものだ。が、まあいい‥‥。風のように大地を駆ける私のことを、人はスイーパーと呼ぶ。流れ者の剣士さ。今日はお前たち二人の首を頂くために参上した。」
そう名乗ると、漆黒のマントの男は剣を抜き、突然リゲルの首めがけて斬り付けてきた。
リゲルがもう半瞬ほど剣を抜くのが遅ければ、強力な一撃が彼の首を胴体から切り離していたに違いない。リゲルは決して漆黒のマントの男の一撃を読んでいたわけではなかったが、偶然、剣を抜きかかっていたおかげで、大事な半瞬を無駄にせずにすんだのだ。
スイーパーと名乗る男の攻撃は、甲高い音と共にリゲルの剣に阻まれたが、その強い衝撃は、体勢の十分でない少年をよろめかせるに十分だった。
すかさずスイーパーは第二撃を繰りだした。今度こそ本当にリゲルを葬り去る一撃になるはずだったが、その時にはすでに、ケルベロスの小剣がリゲルの前に差し出されていた。
スイーパーは第二撃を途中で取り止め、その反動でリゲルの肩に第三撃を繰り出す。
リゲルは体勢を崩しながらも何とか後に跳び下がったものの、そのレザーアーマーは、スイーパーの放った剣先に鋭く切り裂かれた。
リゲルの左肩から真っ赤な血が飛散し、瞬く間に彼の服を赤く染める。
「強すぎる。」
ギュノンでは毎日狩りをし、ローランドに剣術を教わり、すでに並みの兵士よりは数段うまく剣を使える二人だったが、スイーパーはそんな程度では全く相手にならなかった。
これが一対一なら、もうとっくに勝負はついていたのだろう。しかし、リゲルとケルベロスのチームワークは抜群で、今のところ、何とか奇跡的にその後の攻撃をしのいでいた。
とはいってもリゲルもケルベロスも押されっぱなしで、二人ともすでに何箇所かの切り傷を受けている。特にリゲルの左肩の傷は出血もひどく、次第に身体が重くなっていくのが剣の動きにも表れていた。
そして遂にケルベロスが、スイーパーの強力な一撃を剣で受け止めきれず、足元の石につまずいて転倒した。リゲルも出血で意識がもうろうとしてきており、親友の転倒にもほとんど反応できない状態だった。
スイーパーが、転倒しているケルベロスの上に必殺の一撃を加えるべく、頭上に剣を掲げた。
その時である。
一本の矢が空気を切り裂き、スイーパーとケルベロスの間の地面に鋭く突き立った。
スイーパーはサッと身をかわし、矢の飛んできた方向を向いた。
その丘の上には五人の、馬に乗り、弓を持った人影があった。
いくら圧倒的な剣術を持つスイーパーといえども、五人を相手に戦いを挑んで勝てる保証はない。そのうえ今の矢の鋭さは、五人のうち少なくとも一人は、相当な弓術の持ち主であることを証明していた。さらに、ケルベロスに必殺の一撃を加えるタイミングを失った今、二人の少年もまだ無視するわけにはいかなかった。
スイーパーは完全にタイミングを逃していた。
「チッ、邪魔が入ったか。」
彼は一言そう言うと、全く躊躇せず、漆黒のマントをひるがえして自らの馬に飛び乗った。
漆黒のマントの男は、呆然としているケルベロスを尻目に、砂塵と共に風の中に消えて行ったのだった。
そして、全身血に染まりながらも、最後の力を振り絞り必死に戦っていたリゲルは、遂に意識を失い、親友の目の前で地面に崩れ墜ちたのだった。
夢を見ていた。
ここはどこだろう。どこかの原っぱ。花がたくさん咲いている。遠くに城が見える。美しい城だ。森と小川が生命に活力を与えている。太陽が眩しい。人や動物たちもいる。みんな幸せそう。
リゲルはみんなの仲間に入ろうと思った。走ってみんなの方に行こうと思った。走った。走った。でも、みんなには全然近づけなかった。走っても走っても、全く進んでいないようだった。リゲルは叫んだ。みんなに気付いてほしかった。
その時突然、周囲の景色が暗くなった。今までの、暖かく陽気な太陽の下から周囲は一変し、あたりは暗黒の闇となった。
リゲルは膝をついた。寒かった。恐怖が心を支配した。
そこへ、どこからともなくリゲルを呼ぶ声がした。
「王子‥‥、リゲル王子‥‥。」
声の方を見た。そこの闇の中には、暗黒よりも深い真の暗黒があった。いや、生きもののようだ。
その暗黒の生物はリゲルに手のようなものを伸ばした。リゲルは動けなかった。ただ、恐怖が心に溢れていた。
暗黒の生きものがリゲルの身体を包み込もうとした。リゲルはもうそれでも良かった。この場所から連れ出してもらえるなら誰でもよかった。暗黒の生物に身を任せようとした。暗黒の生物は、やさしく彼を包んでいく。
そのとき、リゲルの右手のリングが輝いた。光がリゲルを内側から包み込んだ。その輝きは、闇の世界に鋭い光の杭を突き立てたようだった。
そして暗黒の生き物は、うめき声を上げると闇の世界に融け込んでいった。
スイーパーとの戦いの三日後の朝、リゲルが目覚めたときに一番に目に入ったのは、夢にうなされ、汗びっしょりの彼を心配そうに見つめるケルベロスの姿だった。
「リゲル!」
不意にケルベロスの顔が明るくなり、そう話しかけた。
「ケ‥‥ルベロス。」
リゲルはそう言ってケルベロスの呼び掛けに答えると、自分の右手を見た。
そこには、あの日ローランドから受け取った、シルバーランドの銀のリングがあった。
いつもはやさしい光を放つそのリングは、今は、朝の光のなかで鋭く輝いていた。
「気が付かれたようですね。」
ケルベロスの声とは違う声が、リゲルの耳に入った。
そしてケルベロスの背後から、一人のエルフの若い男が姿を現した。この瞬間、リゲルはやっと現実の世界に呼び戻されたようだった。
「あなたは‥‥。」
そう言うリゲルに、美しい妖精族の男は軽く微笑むと、少年の海のように深く澄んだ瞳を見つめて答えた。
「私はシャローンといいます。私は元々、イラフロノウムの森に住んでいたのですが、暗黒帝国の力に追われ、このマキールの森に移り住んでいるのです。」
彼はそう自己紹介すると、起き上がろうとしたリゲルの身体を押さえて言った。
「まだ、あと二、三日は横になっていてください。私の魔法の力でも、あなたの傷は完全に治すことができませんでしたから‥‥‥。私達があなた方を救けたのもメディート神の采配でしょう。傷が癒えるまで、どうぞゆっくりしていってください。」
「‥‥‥ありがとう。」
リゲルはそう言うと目を閉じ、再び深い眠りのなかに落ちていった。
そのころ、帝国ギュノン滞在軍の指揮官ザカールは、皇帝直々の命令を達成することができずに憂欝な日々を送っていた。
「まだ、あの小癪な小僧共の居所はわからないのか。」
そう言うザカールの前には、あの漆黒のマントの男、スイーパーがいた。
「ザカール閣下、そうあわてる必要はないかと存じます。」
「なに。」
「なにしろ、とり逃がしたとはいえ、あの少年のうちの一人には相当な深手を追わせましたゆえ、そう遠くへは逃げておりますまい。現在、マキール森林を計画的に捜索しておりますので、遅くとも二、三日中には奴らを発見できるものと思います。」
スイーパーは続ける。
「ところで、奴らには数名の、忌まわしい、狩人とも戦士ともつかぬ者共がついていると思われます。つきましては閣下の騎兵を二十騎程度、奴らの殲滅のために派遣してはどうかと思います。」
それを聞いて、ザカールは今までのイライラが嘘のように大声で笑うと、
「なるほど、さすがに抜かりはないな。‥‥‥よし、フィルダーの騎兵小隊を派遣することにしよう。フィルダーは十分信用できる騎士だ。奴なら、あの小僧めを粉々に切り刻んでくれるだろう。」
それを聞き、スイーパーは軽くお辞儀をすると言った。
「それでは、私めはこれでおいとまいたします。今回は、御依頼の仕事を失敗しましたので、当然ながら報酬の方は御遠慮いたします。」
「そうであったな。お前は、自分の仕事に納得がいかぬと、絶対に報酬を受け取らないのだったな。ではまた次の機会に奮発するとしよう。」
そしてスイーパーは、司令部に使われている建物を出ると空を仰いだ。
その空はすでに輝きを失いかけており、ギュノンにも暗黒の時代がもう目の前まで近づいていることを示していた。
漆黒のマントの男は南の方角へ馬を駆り、そして風のように去っていった。
帝国軍の偵察兵がリゲル達を発見したのは、その三日後の、太陽も中天にさしかかった頃だった。
その時リゲルは、ちょうどベットから起き上がって食事を取っている最中だった。
まだ傷の方は完全に癒えたとはいえなかったが、もうだいぶ痛みも引いており、翌日には再びストラディウムへの旅を再開できそうだった。
エルフのシャローンにしてみれば、森の奥での密かな生活が続いていたので、ちょっとした気分転換をしてみようと思ったのだろう。この機会にちょっと客人の旅の話でも聞いてみようと思った。
「このあいだ、貴方たちを襲った男は一体何者なのですか。」
本当のことをいえば、シャローンはリゲル達二人のことの方を聞きたかったのだが、何か、この二人にはそのような質問をしてはいけないような気がして、そう切りだした。
「実は、私たちにも本当のことはわからないのですが、多分、帝国軍の刺客じゃないかと思っています。なにしろ、他には命を狙われるような心当たりがないものですから。」
リゲルがそう言うと、さすがのシャローンも驚いてしまった。
シャローンの質問は、思惑とは反対に、この二人は一体何者なんだという思いを強くする結果となってしまった。
彼は次の質問を発しようとしたが、それは言葉にならなかった。なぜなら、その時突然、何者かによって玄関のドアが大きく蹴破られたのだ。
我に返った三人がそこに見たものは、帝国軍の兵士が二人、剣を構えて乱入してこようとする場面だった。
リゲルとケルベロスは一瞬のうちに飛びすさり、自分の剣を手にした。
間伐入れずに、帝国軍の一人の攻撃がリゲルに迫る。リゲルは素早い動きでその一撃を剣で流し、そのまま反撃に転じた。
目の前の美少年の、見かけからは全く想像もつかない洗練された動きに、帝国軍の兵士は驚く間もなく脇腹に剣を受け、絶叫と共に床に倒れた。
ケルベロスも、驚くもう一人の兵士めがけて剣を繰りだし、一方的な攻撃を四、五撃繰り返した末に、首筋に強烈な一撃を与えた。帝国兵は真っ赤な血しぶきと共にこれまた床に倒れた。
しかしその時、表で馬の蹄の音が鳴り、それが遠ざかっていった。帝国兵がもう一人外にいたのだ。
その音を聞いて、戦いを静観していたシャローンが言った。
「出発の準備をしたほうがいいでしょう。」
シャローンを含めた三人は、すぐに旅の準備を始めた。シャローンも帝国の兵士を殺害した現場にいたとなっては逃げるしかない。
十五分後には三人は準備を終え、シャローンの家を後にしていた。
リゲルとケルベロスは死んだ帝国兵の馬に乗り、三騎は西に進路を取った。
いよいよ、後の時代に伝説として語り継がれることになる、英雄リゲルの本格的な戦いが始まろうとしていた。
西に向かって馬を駆る三騎の後ろ姿を、フィルダー率いる帝国軍の二十騎が発見したのはさらにその十五分後のことだった。
「‥‥‥天空に輝く一つの星。いつかお前には、あの星のように、眩しく輝ける存在となってほしい。ならば輝ける王のもと国民も、いや全ての人々はきっと、この満天の星々のように美しく輝くことができるであろう。そう、神に与えられし王子よ、我が息子よ、お前をリゲルと名付けよう‥‥‥。」
左側から帝国軍の騎兵が近付いてくることを、一番に発見したのはケルベロスだった。彼は驚くほど目と勘が良かった。
ケルベロスの警告に振り向いた二人は、木々の陰から馬を疾走させてくる五騎の騎兵の姿を見た。
三人は、距離から考えてこのまま突っ切れると思い、馬をとばした。
しかし彼らは、前方からも騎兵が近づいてくることを知ったとき、自分たちが囲まれていることを悟った。どうせ右と後方からも騎兵がやってくるに違いない。
「だめだ、どちらかを突破するしかない。」
シャローンが言ったとき、すでにリゲルとケルベロスは剣を抜き放っていた。ケルベロスは、先ほど倒した帝国兵が持っていたブロードソードを手にしていた。
「前だ!」
リゲルの叫びで、方向が決まった。
前方の敵を突破して山地に向かう。これが最も可能性を秘めているように思われた。
シャローンの弓が、鋭い音と共に矢を放った。
矢は暗黒帝国兵の馬に当たり、馬は立ち上がった。その馬に乗っていた騎兵は叫び声と共に地面に叩きつけられた。
前方の敵はあと四騎。
あっという間に双方は剣を使える距離に達した。
「接近戦はお願いします。」
シャローンだ。彼はエルフであり、やはり接近戦で剣を振るうのは苦手なのだろう。
正面から、ランスを構えた騎兵が一人突進してくる。
三人は木々に紛れてそのランスを避けた。
間伐入れず、敵の二人目もランスで襲いかかってきた。今度は明らかにケルベロスを狙ってきた。
しかしケルベロスは素早く馬を操作し、これを紙一重の距離でかわした。
通り過ぎて背後を見せているその帝国兵を、シャローンの矢が襲う。
ここで敵も、森の中でランスは不利だということを悟り、残る二騎は長剣を抜いて接近してきた。
敵は、リゲル達の前に立ちはだかるように待ち構える。
ぐずぐずしていては、後方から迫る残りの帝国騎兵に追いつかれてしまうが、リゲル達としても、この三人を避けて通る訳にはいかない。
リゲルとケルベロスは馬上で剣を構え、馬を駆って敵に接近する。
剣と剣がぶつかり合う音が、森に響きわたる。
ケルベロスは、怪我をしているリゲルをかばうように前へ出る。この戦いで再び傷口が開いてしまったのか、リゲルの服の左肩の部分にうっすらと血が滲んでいる。
ケルベロスの攻撃が敵の兜に当たり甲高い音を立てる。帝国兵はバランスを崩して地面に落下した。
すぐにケルベロスは、リゲルと戦っている敵に向き直り、攻撃を加える。
二人の見事な連携攻撃の前に、その帝国兵も数秒後には打ち倒されていた。
やっと敵を倒したと思ったのもつかの間、前方から更なる敵が数騎、剣を構えて接近してくる。
さすがに今度の敵を相手にしていれば、確実に後方からの帝国兵も追いついてくるだろう。
しかし、ここまで来てはもう他の選択肢は残されていなかった。
シャローンの矢が敵の一人を射落とした。
今の状況ではわずかな時間が命取りになる。二人の少年は、帝国兵と斬り合いえる距離まで、急いで間合いを詰めた。
まさに斬り合いが始まろうとした、その時。
突如森の中から矢の雨が降ってきて帝国兵とその馬に突きささった。数騎が落馬し、地面に転がった。
矢の飛んできた方向に目を向けると、馬に乗ったエルフが四、五人ばかり、森の茂みから矢を射かけていた。
「この隙に突っ切れ、シャローン!」
エルフたちの一人がそう叫んだ。
シャローンはその声に従い、馬の速度を上げると、一気に帝国兵の壁を突破した。リゲルとケルベロスも後に続く。
後方では、さらに二人の帝国兵が矢をまともに受けて落馬していた。
しかし、その向こうから新手の帝国騎兵が続々とやってきている。
帝国兵は盾をかざして矢を防ぎつつ、エルフたちに向けて突進していった。
その後のことはリゲル達には分からなかった。帝国兵のうち数騎が、リゲル達を追って向かって来たのだ。
リゲルは馬を全速で走らせた。ケルベロスとシャローンも後に続く。
帝国騎兵の装備はリゲル達の装備より重く、それだけ馬にかかる負担も大きい。帝国軍たちは徐々に後方に遠のいていく。
そして数分もすると、帝国兵は全く見えなくなってしまった。
それからも、三人は相当馬を走らせ続けた。しかしそのうちに、馬を休ませる必要があり、一旦休憩することにした。
三人は、とある沼の畔で馬を下り、地面に腰掛けた。
「ここまで来れば、もう大丈夫だろう。」
ケルベロスはそう言ったものの、帝国兵の気配が近付けばすぐに出発できる準備だけは怠らなかった。
「さっき助けてくれたエルフのみんなは無事だろうか。」
リゲルは、魔法で肩の手当をしてくれているシャローンに問いかけた。
妖精族の青年は、その言葉に軽く微笑み返すと答えた。
「彼らにとってこの森は庭のようなものです。きっとうまく逃げていることでしょう。」 しかし、シャローンは本当はそうは思っていなかった。帝国騎兵は強い。距離さえ開いていれば軽い装備のエルフ達は逃げ切れるだろうが、あの状況では‥‥。
でも今、この二人の少年に余計な心配をさせる訳にはいかない。それを知ったところで、自分たちにはどうしようもないことだった。下手に助けにいこうとしても手遅れなばかりでなく、自分たちも同じように殺されでもしたら、彼らの好意をも無駄にしてしまう。
リゲルとケルベロスはまだまだ未熟で、そんなシャローンの心のなか迄は見ることができなかった。
二人の目は未来に向いていた。
今の彼らは、大きく待ち構える未来を見つめることだけで精一杯だった。
ギュノンの帝国軍陣営。
ザカールは怒りで卒倒しそうになりながら、実際にリゲル達を取り逃がした張本人であるフィルダーに向かっていた。
「申し訳ございません、ザカール閣下。何とも申しようがございません。」
青ざめながらそう言うフィルダーに対して、ザカールは言った。
「皇帝陛下の勅命を達成できぬことは、皇帝陛下に対する裏切りと同じであるということはわかっておるのだろうな。」
「はっ。」
「しかし、お前は皇帝陛下を裏切ろうとしたわけではない。皇帝陛下の意に沿うべく努力した。そうだな。」
「その通りでございます。」
「ならば、お前には生き延びるチャンスをやろう。これより帝都に赴き、皇帝陛下にその旨申し開きをするがよい。」
それを聞いてフィルダーは気が狂わんばかりに取り乱し、なんとか一言しゃべった。
「そ‥‥それだけは‥‥お許しを」
しかし、ザカールはその言葉を聞いてはいなかった。彼は数名の衛兵を呼ぶと、フィルダーを捕らえさせた。
「こいつを皇帝親衛隊の兵士に預けろ。そしてシルバーランドに居られる皇帝陛下の御前まで連れていけ。」
建物の外に引きずり出されたフィルダーの悲鳴が、静まり返ったギュノンの街に、大きく恐怖を鳴り響かせた。
そのころリゲル達一行は、エマット・ノイル山脈も無事に越え、今まさに、港湾都市ファストディウムを目の前にしていた。
すでにリゲルの肩の傷も完治しており、この美しい少年は元の元気さを完全に取り戻していた。
そして今、小高い丘から見下ろす街の向こうには、リゲルとケルベロスが初めて見る、広く青い海があった。
「あれが、海か‥‥。」
リゲルはそうつぶやくと、その鮮やかな海と同色の澄んだ瞳を、随分と長い間水平線に向けていた。潮風がリゲルの頬と髪をなでた。海は春の太陽の光を十分に受け、きらきらと光っている。
そして、我に返ったように彼は言った。
「まず、街に入って宿を探そう。とりあえずは身体を休めて、それからだ。」
暗黒皇帝の支配がギュノンに及ぶに至り、ファストディウムの南、偉大なるストラディウムへの玄関口であるユル・ストラディウムでは、帝国軍に対する反撃の準備が着々と進められていた。ストラディウムのルイス王子の、麾下一万のストラディウム軍は、ギュノンまで侵攻してきた帝国軍を撃滅すべく、続々と集結中だった。
闇がユルセルーム大陸を覆い始めてから十五年。帝国の支配は日毎広がり、強まっていくばかりだった。
ストラディウム暦一九一三年五月。世界は英雄の出現を待ち望んでいた。
リゲル達は、今までの疲れを癒すため、三日ばかりこの街に滞在することにした。
もっとも、彼らにとって帝国軍の脅威が全く無くなったわけではないので、これ以上の滞在は危険でもある。
しかしリゲルとケルベロスは、見るもの全てが目新しいこの街で、とてもゆっくりしてなどはいられなかった。
彼らはまず、泳ぎを覚えることに専念した。
彼らの育ったギュノンには海も湖も無かったので、彼らは泳ぎに関しては全く経験が無かった。
いくら二人が若く、様々なことを次から次へと吸収するとは言っても、三日ぐらいではそんなに上達はしなかったが、どうにか溺れない程度には泳げるようになった。
そして、シャローンを含めた三人は、ファストディウムの街を歩き回った。
街の規模自体はギュノンに比べると全く小さかったが、市場では、ギュノンとは違って魚や海産品などが多く、その独特の賑わいを大いに満喫した。町並みも、ここでは潮風に耐えるためか石造りの大きなものが多い。
また、ここには人間族ばかりではなく、ホビット達も数多く暮らしており、そのことも、街の雰囲気を一種独特なものに変えているようだった。
そして、リゲルとケルベロスが初めて見る大きな帆船。
彼らは見るもの一つ一つに驚きと興奮を持たずにはいられなかった。
そんな訳でリゲル達は、滞在した三日間を、休養するどころか見事に疲れ切って過ごしたのだった。
ストラディウムの第八王子ルイスは、別名をルイス英雄公という。
彼は三年前に、デュラ、ヒュノー、旧エンダルノウムの三国によるストラディウムへの侵攻を、自ら軍を率いて撃破して英雄公と呼ばれるに至った。王位継承順位から言えば、上に七人の兄がいることになるが、国民の信頼も厚く、実力的にも次の国王はルイスだというのが世間の一致した意見だった。
今ルイスは、暗黒帝国への反撃軍一万を指揮するため、ユル・ストラディウムにいた。
そしてその場には、ルイスと共にストラディウム四天王と呼ばれる、第六騎士団長ヘラクレス、自称魔法使いのカムイ、そして王国親衛騎士団長であり太陽の騎士の異名を持つコロナの姿があった。
「出陣に先立ち、皆の意見を聞こうと思う。皆の考えたる作戦を言ってみるがよい。」
ルイスに指名された男、ヘラクレスが答えた。
「恐れながら申し上げます。まず我が軍にとって最大の利点はギュノンの市民が味方だという点にあります。そして最大の問題点は、帝国軍の兵数がわからないという点にあります。この二つの点のうち、弱点をカバーし利点を伸ばす方法を、ここに居ります二名と共に考慮した結果、敵をギュノンの街から誘い出しての野戦が、一番好ましいという結論に達しました。」
「どうやって誘い出すのか、一応お前達の考えを申してみよ。」
ルイスの誘いに今度はコロナが答えた。
「作戦は三段構えで考えております。まず密偵をギュノンに忍び込ませ、ストラディウム軍が五千の兵力で救援に向かっているという流言を流させます。これにより、我が軍の兵力が五千だという先入観を敵に持たせます。」
コロナは一息間を置いて続ける。
「第二段階として、五千の兵力で正面からギュノンに攻城戦を仕掛けます。これが成功すればそれはそれでよし。失敗したなら第三段階へ移ります。攻城軍は散々になって逃げていくように見せかけます。敵の将軍がある程度先を読むことのできる奴だとすれば、いくらかの部隊を場外に出して追撃を試みるでしょう。なぜなら、敵はこちらが五千の兵力しか持っていないと思っているのですから、逃げていく我軍のみを相手にすればいいわけですし、それ以上に、この機会に我軍に大打撃を与えておけば、当分の間ストラディウム軍の抵抗は排除できると考えるでしょう。そうして追撃軍が出てくれば、密偵の報告と合わせて敵の数もおおよそ察しがつくというものですし、敵の数次第で、追撃軍のみを一万の兵でもって各個撃破するもよし、そのまま勢いに乗じてギュノンを奪還するもよしとなりましょう。」
これを聞きながら英雄公はしきりにうなずいていたが、コロナの言葉が終わると言った。「うむ、お前たちも、だいぶ戦いというものを理解してきたようだな。実は、私の考えもお前達と同じなのだ。今回の戦いにおいては、今お前たちが言った作戦でいこうと思うが良いであろうな。」
こうして、ストラディウム軍の反抗作戦は始まった。
反撃軍精鋭一万の内訳は、騎兵一千、歩兵八千、補給部隊一千。
“王の道”をこの大軍が壮大に東進し始めたのは、一九一三年の五月三十一日のことだった。
ルイスの反撃軍が出発した頃、リゲル達はちょうどストラディウム行きの船を探している最中だった。
ファストディウムは、ユルセルーム大陸ではユル・ストラディウムに次ぐ港湾都市で、常は当然、方々の港湾との連絡船が盛んに出入りして活気に満ちているのだが、実はここしばらく、ストラディウム島行きの船に限って数が少なくなっていた。
船乗りたちから聞いた話では、最近、ストラディウム島の近くに海賊船が出没しており、今月だけで十三隻もの商船が、沈没、行方不明になっているということだった。
今では軍船以外の船はストラディウムに近付こうともしない有り様だった。
さらに、なにやらユル・ストラディウムで大規模な軍事行動が行なわているということで、ストラディウムと大陸をつなぐことを主としている船は、そちらの方でおいしい商売をしているようだった。
ケルベロスは、三人がすべきことを単刀直入に言った。
「ユル・ストラディウムに行こうよ。ここで待ってても、いつになったら船が見つかるかわからないよ。ユル・ストラディウムなら、おいしい商売をしているという船のどれかに便乗して、ストラディウムに渡れると思うな。」
結局、三人はここから南に折れてユル・ストラディウムに向かうことになった。
ユル・ストラディウムは、こことは規模も全然違う。そこならば、いくら海賊が出るとは言っても、たくさんの船がストラディウムに向かって帆を揚げていることだろう。
そして、出発に先立って、リゲルとケルベロスは馬を買うことにした。
今までの馬は、元はといえば帝国軍の馬で、調教のせいなのか、邪悪さが表に滲み出ているようだった。それに少々高齢馬でもあり、これからの彼らを考えると、若く、お互いに意思の通じる馬が必要だった。肝心の金貨の方も、ここに来るまでの行程で多少は確保できていた。
幸いこの街には大きな馬屋があり、たくさんの馬達がそこで売り買いされていた。
店に入ってすぐに、リゲルは、黄金色に輝く一頭の栗毛の馬に目を留めた。リゲルがその前を通りかかったとき、その馬は精悍そうな瞳をリゲルに向けていた。
その瞬間リゲルは悟った。この馬は、自分と共に歩み行く運命にあるのだと。
「お前は、今日からアルクトゥルスという名だ。」
こうしてリゲルは、アルクトゥルスという名の、四白流星の美しい栗毛馬と出会った。
そしてケルベロスの方も、お気にいりの馬を見つけたようだった。
その馬は全身が焦茶色一色の鹿毛馬で、リゲルやシャローンから見ると、どこかとぼけたように見えたが、ケルベロスは自分のお気に入りを見つけて上機嫌だった。
その馬にはバルゴという名が付けられた。
こうして三人は、気分も新たにユル・ストラディウムへの旅に出発したのだった。
ギュノンの東三百キロ、エスラムス山脈には、帝国の西の拠点エスラムス城がある。ここには、帝国ギュノロン方面軍の最高司令官カール・マキシムがいた。
カール・マキシムは、暗黒帝国三軍神の一人に数えられる男で、褐色の雄大な体格をしており、その黒い瞳から発せられる眼光は鋭く、何者をも服従させる力を秘めていた。そして彼の剣技は帝国一とも言われており、騎士達からの信望も厚かった。
彼は執務室で、一人の邪悪そうな黒いローブをまとった魔術師と向かいあっていた。
「ユル・ストラディウムに潜入しているお前の配下の者の言っていることが本当ならば、我々もそれなりの手を打たねばならぬ。」
カール・マキシムの言葉に、魔術師は一礼したあと答えた。
「我が部下ハルドーの報告に嘘はございません。ユル・ストラディウムからハルドーのテレパシーが届いたのはつい先程で、確かに、ルイス率いる一万程のストラディウム軍が、ギュノンに向けて行軍を開始いたした次第でございます。」
マキシムは、その確信を持った言葉を聞くと大きくうなずいた。
「よし、わかった。この件に関しては、さらにお前の力を借りる必要があるかもしれん。期待しているぞ、魔術師ドルサスフールよ。」
マキシムは魔術師を下がらせると、今度は将軍達を集めて指令を下した。
「十日後、守備隊以外の城の全兵力、一万四千をもってギュノンに向けて出撃する。そして、既にギュノンにいるザカールの一千余と合流し、愚かにも戦いを挑んでくるストラディウム軍を打ち砕くのだ。」
そして、将軍達が準備のためにマキシムの前を去った後、彼は一人つぶやいた。
「ルイス英雄公。皇帝陛下でさえも一目置く男。果たしてどれほどの力を持っていると言うのだ。」
帝国ギュノン滞在軍指揮官ザカールは、立場上、非常に困った事態に陥っていた。彼は、シルバーランドのリゲル王子を取り逃がし、その事態を未だ収拾できずにいると言うのに、帝国三軍神の一人であるカール・マキシムが、帝国ギュノロン方面軍主力を率いてここにやってくるというのだ。
ザカールは、彼の軍に属している魔術師ウィーダを呼び、この状況を説明して解決策を求めた。
「それについては、ひとつ思い当たる方法がございます。が、これは私の一存では決めかねることでございますので、我が師たるドルサスフール卿に密かに相談した上で、明日返答させていただきたく思います。」
そして翌日、ウィーダはザカールにその策を明かした。
これが成功すれば、ザカールも安心してカール・マキシムをギュノンに迎えることができるだろう。
その策とは、リゲルを抹殺する方法そのものだった。
ユルセルーム歴一九一三年六月二十日。リゲルは、ケルベロス、シャローンと共にユル・ストラディウムに到着した。
ユルセルーム大陸最大のこの港湾都市は賑わいに溢れかえり、港には多数の帆船が停泊し、入港し、出港していた。
リゲル達はまず港に行き、船乗りたちからの情報収拾に努めた。
そこで船乗りたちが、三日後にストラディウムに向け出航する船のあることを教えてくれたので、リゲル達は安心して宿で休むことができたのだった。
「夜更けの晩餐亭」は市街の中心から少し離れた、旅人たちがユル・ストラディウムを訪れるときに必ず通る道沿いにあった。道沿いの、酒場を兼ねたレストランが、通りがかりの旅人を捕まえ、最終的にその裏手の宿へと導いていくのだ。
リゲル達はとっくにこの作戦にひっかかており、すでに港に行く前に宿を予約していたのだった。
次の日の朝食には、宿に泊まった客のほとんどがやってきていた。
その中でも、二人の少年と一人のエルフといった妙な組み合わせの三人組に興味を示した「夜更けの晩餐亭」の主人が、彼らに話しかけてきた。
「今日はいい朝だ。こんな朝は水平線の向こうにストラディウム島が見えるかもしれないな。あんた達、観光かい?観光客なら案内するよ。」
これに答えたのはシャローンだった。
「いえ、実は私たちは、ストラディウムへ行く途中で立ち寄っただけなのです。」
そこにすかさず、ケルベロスが口をはさんだ。
「でも、今日一日は観光しようと思っているんだ。」
それを聞いてリゲルも笑いながら言った。
「船が出るまであと二日あるんです。良かったら今日一日案内してもらえますか。ただし、料金は安くしてくださいよ。」
こうしてリゲル達一行は、ユル・ストラディウムの街を観光することになった。
店の主人の娘で、リゲル達と同年代の少女ルナの案内で、三人は街の主要なところを見物してまわった。
ユルセルーム最大の貿易港でもあるユル・ストラディウムが自慢する大きな市場では、世界中の様々なものが陳列されており、大勢の人で賑わっていた。
「ここで手に入らない物はない、というのがユル・ストラディウムの自慢なんです。」
ルナの言葉にほののかされ、一行は市場で買い物を始めた。
リゲルは、うろうろと市場の中を歩き回った末に、はるか大陸東部の都市、ファラノウムで作られたペンを買った。ケルベロスは、各地名産の食べ物に夢中だったが‥‥‥。
その後一行は劇場にも行った。劇場はギュノンにいたときにも一、二回行ったことがあるが、ここの劇場は規模自体が違うし、出し物も超一流だった。それがどのくらいのものだったかというと、劇場を出てしばらくは、感動のあまり誰も声が出ないほどだったのだ。
そうこうしているうちに時は進み、気がつくと、もう陽はだいぶ西の方へと傾いていた。
四人は、陽が沈む夕方の海を眺めるために港へ向かった。
港に着くと、船着場で、四十歳位の、茶色の服を着てシミターを腰に下げた、長身の逞しい男と出会った。
その男は「夜更けの晩餐亭」の泊まり客で、リゲルは朝食の時に彼を見かけていた。
ルナは、その男を見ると微笑んで話しかけた。
「今日も船を見ているんですね、ランドルフさん。」
男はルナの問い掛けには振り向かず、海を見つめたまま答えた。
「ああ。昔の友人がここを通って行くような気がしてな。ここを通っていくとき、酒の一杯でも誘わなくちゃ申し訳ないからな。」
「‥‥‥。」
「しかし、どうやら今日も待ちぼうけのようだ。‥‥‥もう少ししたら帰るから、先に帰って夕食の準備をしといてくれないか。」
ランドルフにそう言われて、リゲル、ケルベロス、シャローン、ルナの四人は「夜更けの晩餐亭」への帰途についた。
「あのランドルフという人は、ここへ来て長いんですか?」
道中リゲルがルナに聞いた。
「もう三年になります。最初見たときは、何か影のある人のようで怖かったけど、本当はとてもいい人なんですよ。今は船着場の仕事をしているみたいです。私の知るかぎり、毎日一度は、あそこで船の出入りを見ているんです。」
そう答えた少女は、前を向くと夕焼けの空を見つめた。
空には既に幾つかの星々がきらめいており、その間を一筋の流星が流れていった。
その時である。
突然あたりが暗闇に包まれた。リゲル、ケルベロス、シャローンの目は、暗闇以外、何一つ見ることができなくなった。
ルナは、目の前でリゲル達三人が包まれた、想像を絶する、その空間だけがこの世界から切り離されたような、恐るべき暗闇の存在を見た。
とっさに動くこともできない暗闇の中で、リゲルは悪の気配を察知した。この暗闇が暗黒帝国の魔術師の仕業ではないかと考えたのとほぼ同時に、その考えが正しかったということを現実が証明した。
暗黒の空間が炎に包まれた。
激しい火の嵐がリゲル達三人を包んだ。
炎は、リゲル、ケルベロス、シャローンの身体をひとしきり焼き、その衣服を黒く焦がすと、今度はまるで何も無かったかのように消え失せた。
それと同時に暗闇も消え、かわりにリゲル達の目の前に、五人の戦士と一人の魔術師が姿を現した。
三人は身体の痛みさえも忘れ、剣を抜いた。
リゲルとケルベロスは、それぞれ二人の戦士と剣を交えなければならなかった。
敵の戦士はたいした力量を持ってはいなかったが、既に魔術師の攻撃で負傷しているリゲルとケルベロスはいつものスピードを欠き、そのうえ背後にいるルナを守りながら戦わなければならず、苦戦を強いられた。
シャローンの前には敵は一人しかいなかったが、シャローンは元々剣を使っての戦いが苦手な上、その敵はどうやら戦士たちの隊長らしく、他の四人と比べると相当な力を持っているようだった。
リゲルは敵の二人の攻撃を防ぎながら、決定的な攻撃の機会をうかがっていた。
しかし、今の状態で二人の敵は手に余り、なかなか決定打のチャンスは得られない。
ケルベロスの方も同様で、徐々に後方の壁ぎわに追い詰められていった。
そしてシャローンも、剣の戦いでは敵の方が上手らしく、とても他に気を回す余裕などはないようだった。
リゲルとケルベロスが追い詰められるのを待っていた暗黒魔術師は、ここぞとばかりに自ら武器を取り、リゲルに向かって攻撃をしかけてきた。
リゲルも三人の相手はできるはずもなく、戦士の一人が振るった一撃をついに避けきれなかった。
大きなダメージは受けなかったものの、リゲルはバランスを崩し転倒してしまった。
そこにメイスを掲げた魔術師が襲いかかる。
魔術師が叫んだ。
「死ね!リゲル王子!」
もはやこれまでと思った絶体絶命のその時である。
突然、魔術師の身体が中央から真っ二つに裂けた。勝利を確信していた魔術師は、メイスを空高く掲げたまま地面に倒れた。
飛び散る血しぶきのその陰には、シミターを持ち茶色の服に身を包んだ男、ランドルフが立っていた。
ランドルフはそのまま勢いに任せてさらに一人の戦士をも切り裂くと、三人目の敵と戦い始めた。
リゲルは立ち上がると、苦戦しているケルベロスの方へ行き、敵の一人を引き受けた。
間もなく戦いは終わった。
後には五人の戦士と一人の魔術師の死体、剣を収めたリゲル、ケルベロス、シャローン、恐る恐る前に出てきたルナ、そして、リゲルの前にひざまずくランドルフの姿があった。
ランドルフは確かに聞いた。切り裂かれる直前に暗黒魔術師が叫んだ言葉を。暗黒魔術師は、今、自分の目の前にいる少年に向かって確かにこう言った。「リゲル王子」と。
もちろん、その言葉に驚いたのはシャローンもルナも同様だったが、ランドルフには、他の二人とは比較にならない別の驚きがあった。
ランドルフは、自分の口から発している言葉を、まるで他人の言葉のように聞いていた。「私は、シルバーランド七色の騎士団の一つ、青色の騎士団の騎士、ランドルフと申します。殿下にお仕えすべきこの日が来るのを、十五年間お待ちしておりました。」
〈しかし〉
とランドルフは思った。この少年は本当にリゲル王子なのだろうか‥‥‥。
だが、リゲルが彼に向かって差し出した手に、彼は真実を見た。
リゲルの指には、シルバーランドの正統な王家の証であり、善の心の象徴である“リパルス・リング”が静かに輝いていたのだ。
そして、リゲルの顔を仰ぎ見たランドルフは、その青緑色に澄んだ美しい瞳の中に、悪に対する本当の決心を見い出すことができた。
もはや、ランドルフの心には疑うものは何もなかった。
リゲルの方も、このランドルフの突然の言葉にただ驚くばかりだった。
今は無きシルバーランドの騎士。
このような者の出現を全く予期していなかったリゲルは、ただ無意識に手を差し出すのが精一杯だった。
その手を取ってランドルフが立ち上がったとき、リゲルは真実を受け入れるように静かに口を開いた。
「私が果たすべき運命は、シルバーランドの復興と暗黒帝国の滅亡。青色の騎士であるあなたの運命はどこに‥‥?」
ランドルフは王子の問いに対して、ゆっくりと、しかし確信をこめて答えた。
「私の運命‥‥。それは不変のもの。それはシルバーランドと共にあり。そして、星々に選ばれしリゲル王子と共にあり。」
それを聞いて静かに瞳を閉じたリゲルの目には、小さな銀色の輝きがあった。その輝きはゆっくりとリゲルの頬をつたうと、ためらいがちに宙に弾けた。
その時、晴れわたった夜空に一つの星が強くきらめいた。
目の前の少年の運命を垣間見たルナは、ひとりその星に願った。
「彼の切り開いたる未来を守り給え‥‥」と。
‥‥嵐の夜、宝石をちりばめたようなバルコニーには、銀の冠を頂いた王と、生まれたばかりの赤子を抱いた王妃の姿があった。
「‥‥‥真実は、愚かな人間族の前では容易にその扉を開こうとはせぬ。そして人は、その真実の扉を開こうと愚かな道を歩み続ける。至上にあられるイーヴォの神よ。あなたは人に何を求めているのか。あなたは、この時代に生まれしこの王子に、どのような運命を与え給うたのか‥‥‥。」
嵐の夜空からは何の答えもなかった。
階下では、暗黒帝国の兵士が、もうそこまで迫っていた。
そして王と王妃は、星々に背を向けると大広間の中へ姿を消した。
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